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 トリポリの様子
リビアのイスラム教式の葬儀(後編)

リビア人の大家の家族が亡くなり自宅葬が行われた。葬儀業者が自宅前の車道幅員一杯に三方幕の葬式用テント(奥行3m×間口10m×棟高さ3m)を設営した。テントの屋根は青色のビニール製、横壁は白色の布製で、内部の壁一面に鮮やかな黄・青・白色で描かれたアラベスク模様の赤地の布が張られ、天井から電球が吊り下がり、床に板が敷かれた。
テントの両側の出入り口として車道と自宅の間の歩道上にアラベスク模様の布が垂れた。初日と2日目の夜は複数の女性が大げさに歌うように泣く声が数時間も近所に響いた。3日目の昼にテント内を通行し帰宅した。椅子がテント内に並び、鮮やかな色の服の上から黒色のチャードルを着た女性の弔問客が10人ほど着席していた。香典を持参する習慣はなく弔問客は手ぶらだ。設営後6日目にテントは撤収された。定期的に墓参りをする習慣はない。天国で家族は一緒にいるから、とのこと。(8月12日、伊東医務官)


リビアのイスラム教式の葬儀(前編)

リビアでは、病人が自宅で危篤になると家族が自家用車で病院に連れて行く。医師が死亡確認をし遺体を洗浄し白布に覆う。希望すれば同性の家族が自宅で遺体を洗浄することもある。遺体を自宅に運び家族がコーランを読誦し、モスクに運びシェイフがコーランを読誦し墓地に運ぶ。シェイフにお金を払う習慣はない。
共同墓地は国営である。同じ家族でも別々の共同墓地に一人ずつ埋葬する個人墓である。裕福な家族は共同墓地の一区画を所有し家族の個人墓が区画内に並ぶ。遺族が地面に穴を掘り白布で覆った遺体のみを穴にいれ土をかける。墓に花や遺品は入れない。葬儀業者が用意した、小穴が空いた平たい墓石をかぶせ土葬する。埋葬後、自宅で3日間葬式が行われ、弔問客に食事が提供される。費用は埋葬代100LD(=7000円)、葬式代100LD、計200LDである。(7月29日、伊東医務官)


ザーウィヤ(Zawiya)市視察

ザーウィヤ市を視察した。トリポリから車で約一時間要した。ザーウィヤ市は首都トリポリの西40kmに位置し、北は地中海に面し、最西端には世界遺産のサブラータ遺跡がある。人口約20万人はトリポリ市、ベンガジ市、ミスラータ市、ベイダ市に次いでリビア第五位である。ザーウィヤ市には、ラスラヌフに次ぐリビア第二位の精油所があり、その精油量は12万バレル/日に達する。
ザーウィヤ市では2011年の内戦中に激しい戦闘が行われた。市内に入ると多くの建物に弾痕が残っていた。市中心部は日中は人通りがあり、野菜や果物を売る露店、カーペット・壺・衣類などを売る商店、肉屋、薬局も開いていた。少しづつ、ゆっくりとではあるが、復興に向けて動き出しているのが感じられた。(10月31日、伊東医務官、杉村領事)



プライベート・クリニック

トリポリ市内のプライベートクリニックを訪問した。院長は循環器内科専門のリビア人医師。クリニック内は非常に綺麗だった。多くのリビア人にとっては受診料が高額なため、主に法人会員の外国人駐在員が定期健康診断などで利用しているようだ。主要科は全科あり、緊急血液検査は1時間以内に結果が判明しマラリア検査も可能。院内薬局には欧州から輸入された薬、ワクチンが豊富に揃っていた。入院ベッドはないが外来観察ベッドは5床ほどあった。リビア人の医師・臨床検査技師・受付係、アジア人の看護スタッフが働いていた。医療スタッフは英語が堪能だ。会計には手すりが設置されていて患者に親切な設計だ。診療費の後日払いも可能だ。クリニックの裏庭には自前の救急車2台、停電用のジェネレーターが常設され、中庭には来訪者用のカフェが併設されていた。プライベートクリニックが人気の理由がわかる。(9月27日 伊東医務官)



制憲議会選挙:選挙結果確定

リビアでは、7月7日に制憲議会選挙の投票が実施され、同17日に最高選挙委員会が投票結果が発表されました。そして、投票結果は不服申立・審査を経て、8月1日に確定しました。
制憲議会選挙(定数200)は、無所属の個人候補が議席を争う選挙区(120議席)と、政党単位で議席を争う比例区(80議席)に分かれて実施されました。それらのうち、比例区における各政党の当選議席数は以下のとおりです。

1.国民勢力連合(39議席)
 マハムード・ジブリール前暫定首相を党首とするリベラル系政党。「女性の権利を擁護し、女性が国家の未来を建設するに当たって政治的、社会的及び文化的に参加することを可能とする」などと主張。

2.正義(公正)開発党(17議席)
 リビアのムスリム同胞団が設立したイスラム系政党。「イスラムが国家の宗教であり、イスラム法が立法上の主な法源である」などと主張。

3.国民戦線(3議席)
 リビア解放人民戦線の元代表が党首を務めるリベラル系政党。「温室効果現象を生み出す人間の放出活動への規制を通じ、気候変動に対峙する世界的な基準に沿った環境政策を採り入れる」などと主張。

-以下は2議席獲得した政党-
4.祖国のための連盟
5.中道祖国の潮流
6.民主主義と開発のためのワーディ・アルハヤー連合

-以下は1議席のみ獲得した政党-
7.使命
8.叡智党
9.発展と福祉のための祖国党
10.中道若者の潮流
11.国家の自由のための連合
12.リビア祖国党
13.ラキーザ
14.祖国と発展
15.ワーディ・アルシャーティの祖国連合
16.自由と発展のためのリビア党
17.国民諸政党連合
18.中道祖国連合
19.純血と革新グループ
20.純血と進歩グループ
21.リビア希望

制憲議会は、上記21政党の所属議員80人に加え、無所属で立候補して当選した議員120人の計200人で構成されます。8月8日、国民暫定評議会(NTC)から制憲議会に政権が移行し、リビアの民主化プロセスは憲法制定作業という新しい段階に移っていきます。今後も、リビアが民主化に向けた道のりを順調に歩むことを祈るばかりです。
(8月8日 熊澤書記官)



薬局

トリポリ市内で薬局を探す時、目印は「赤い三日月、ヘビの巻き付いた杯」の看板です。赤い三日月(赤新月)は、イスラム教国で赤十字の代わりに用いられている標章です。ヘビ、杯はギリシャ神話の「ヒュギエイアの杯」に由来し、薬学の象徴です。

薬局の店頭には石鹸、シャンプー、おむつなどの日用品が並んでいましたが、医薬品は見当たりませんでした。カウンターにいる白衣を着た女性の薬剤師に、処方箋やメモを渡すと、店裏の薬庫から薬を持ってきてくれるシステムでした。希望の医薬品名がわかれば処方箋は不要です。常用薬の空箱を持参して薬を指定するとわかりやすいですね。客列は整備されておらず、カウンター前は20人ほどの先客で混雑していましたが、約30分で薬を購入でき、領収書も発行してもらえました。スペインやフランスなどから輸入された医薬品の種類は豊富で、日本での原価より安く購入できたので、ほっとしました。(7月29日 伊東医務官)



現在、イスラム教のラマダン(断食月)中ということもあり、日中は町全体が休日のような静かな雰囲気に包まれています。夕方には多くの人々が食料品の買い出しのために外出し、一旦自宅に戻るのでまた静かになりますが、その後は深夜まで楽しく過ごしているようです。なお、露店で子供のおもちゃが売られていますが、幼い子供から少年に至るまで、プラスティック製のおもちゃの銃で撃ち合って遊んでいる光景を良く目にします。昨年来のリビア情勢を思うと、何か悲しく感じます。

最近、トリポリにおいては、今までに発生していた民兵の銃撃戦はほとんど聞きません。また、深夜に大使館付近で聞こえていた銃声や砲声もほぼ聞こえなくなりました。このように、トリポリの治安は一見して安全に見えますが、夕方から夜にかけて車両強盗が多発しており、クロスカントリー型四輪駆動車やピックアップトラックが特に狙われています。犯行には銃器が使われ、死傷者も発生しています。民兵に関する銃撃戦とは異なり、こうした一般犯罪は、誰もが被害に遭う可能性がありますので、十分な注意が必要です。(8月1日 杉村領事)



制憲議会選挙:選挙運動の開始

カダフィ政権崩壊後のリビアでは、約60年ぶりとなる国政選挙を来月7日に控え、国民の間で歴史的イベントの実施に向けたムードが高まっています。今回の選挙は「制憲議会選挙」と呼ばれ、カダフィ政権下で存在しなかった憲法を起草する議会(「制憲議会」)を設置するために実施されます。

6月18日から選挙運動が始まり、トリポリ市内の至る所に選挙ポスターが一斉に張り出されました。日本の選挙で一般的な候補者写真、名前、所属政党等が明示された選挙ポスターに加え、リビアでは候補者の全身写真、略歴が付された立て看板や横断幕までもそこかしこに掲示され、独自の選挙活動が展開されています。中には、ガソリンスタンドの給油機に選挙ポスターが貼られたり、歩道を塞ぐようにして立て看板が設置されている例もあります。個人商店や店舗の壁にまで選挙ポスターがびっしりと貼られ、店員が撤去する場面もあり、選挙に不慣れな一面も窺われます。(熊澤書記官)



最近、市内の状況を視察するため、週末の日中自家用車で走り回っています。トリポリは地中海に面しており、市内にも美しいビーチがありますが、既に多くの海水浴客で賑わっています。革命後からでしょうか、ファミリービーチと呼ばれるビーチの一部を囲った有料施設も多く営業を始めています。時折、民兵のかかわる銃撃事案等の悪いニュースも耳にしますが、日中に限っては至って平穏と感じています。また、現在、選挙キャンペーン期間中(投票日7月7日)ですが、日本のように街頭演説等もなく、日常生活では全くそれを感じないほど、平素と変わらない状況です。(6月28日 杉村領事)



プライベートクリニック

リビアでは、会員制のプライベートクリニックを利用する人もいる。個人または法人としてクリニックと年間契約(約5万円/年/人)をして会員になると、受診したり、往診を頼んだり、クリニックの自前の救急車を利用することができる(公共の救急車はほとんど普及していない)。救急車内には、酸素、点滴、除細動器、熱傷処置などの機材が揃っている。クリニックの中はきれいだ。一般救急外来では、内科や外科の医師が総合診療をし、小児科・耳鼻科・産婦人科は契約している専門医が対処する。血液検査は外部に委託して1~2時間で検査結果が得られる。X線、心電図、超音波検査などを備えている。院内薬局には輸入した薬が並んでいる。医療スタッフ(リビア人、マルタ人、インド人)は英語が堪能だ。診療費の後日払いも可能だ。プライベートクリニックが人気の理由がわかる。(6月26日 伊東医務官)



魚市場

トリポリ港に、白い帽子をかぶった様な屋根が目印の魚市場がある。水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を求めて大勢の庶民、料理人で賑わっている。約50店舗が並んでいる。マグロ(1000円/㎏)、カジキマグロ、鯛(1000円/㎏)、ヒラマサ、カワハギ(1000円/㎏)、ブリ、舌平目(700円/㎏)、アジ、アンコウ、海老(1600円/㎏)、イカ、アサリ(1000円/㎏)などが売られている。一尾売りですが、魚捌き場(捌き代:1尾130円)が併設されているので料理初心者でも安心だ。気さくで陽気な店主と値段交渉をして買った天然ものの魚介類の料理は、私の心と胃袋を掴んで離さない。(5月26日 伊東医務官)



ハンマーム・スィーディ・ドラガウト

早朝からハンマームに行った。ハンマームとはイスラム圏の公衆浴場のことであり庶民の憩いの場です。トリポリ旧市街には、1604年にオスマントルコ帝国のイスケンデル将軍によって建てられたハンマーム・スィーディ・ドラガウトがある。木~日曜日が男性客の日。入口で番台に入浴料(5LD=325円)を払うとロッカーの鍵をくれる。最初の部屋は一面が大理石でできた脱衣所である。水着を着た案内人がロッカーまで案内してくれた。水着に着替え、ロッカーに貴重品を入れて南京錠をかけ、サウナに向かおうと3段の階段を下りようとしたら、緊張していて、床がヌルヌルしていてそのまま滑り落ちた。次の部屋はサウナ後の客が涼む中部屋で天窓からの光で碧いモザイクタイルが輝いていた。次の部屋はムッとする熱気のたちこめたサウナで5名ほどの客がいた。皆の視線が一気に私に集中しているのを感じたが、緊張を隠しつつ笑顔で「ハイ」といって隅に座った。部屋は正方形で20畳ほどの広さがあり壁も床もポカポカと暖かい。真ん中に4畳ほどの正方形の台があり、寝たり、脚上げストレッチをしている人がいる。寝ていると皆話しかけてくる。日本人だというと「ナカータ~」と言ってくれた。リビア人はサッカー好きが多い。19個の天窓から入ってくる朝の光を眺めていると海底から天空を見ているような幻想的な気分になる。大部屋は7つの洗い場につながっている。洗い場には流しとプラスチックのバケツがあり、お湯を頭からかぶると幸せな気分になった。常連客はあかすりグローブやビーチサンダルを持参している人が多い。追加料金であかすり師のサービスもある(5LD)。尻もちしたお尻が痛かったけど久しぶりのサウナですっかり疲れがとれました。体も心も温まった。また来たい。(5月19日 伊東医務官)



アハメド・パシャ・カラマンリー・モスク

すがすがしい土曜日の朝、暑くなる前に旧市街に行きました。トリポリ城門をくぐり旧市街に入るとまだ閑散としていて店主がバザールの準備をしていました。左側に8角形の独特のミナレットが目印のアハメド・パシャ・カラマンリー・モスクが見えてきました。碧い空に白壁のモスクが眩しく見えます。1738年にオスマントルコ帝国カラマンリー朝のアハメド・パシャ・カラマンリーによって建てられたものです。静寂でおごそかな雰囲気に吸い込まれるようにモスクに入ると通りすがりの少年が英語で話しかけてきました。日本から来たよというと驚いた顔をされました。リビアの若い人は英語が上手ですね。花をモチーフにした色鮮やかなモザイクタイル、綺麗でした。(5月12日 伊東医務官)
   
   



旧フランス領事館

マルクス・アウレリウス門のすぐ近くの旧市街内にあります。1630年オスマントルコ時代に建てられた後、約300年間も使用されていました。複雑な模様の美しいモザイクタイルが敷きつめられたタイル張りの中庭に入ると、赤や青や黄色のステンドグラスの窓から朝のやさしい光が入ってきていて心地よくまばゆい空間でした。回廊、図書室、領事室、ギャラリーを通るときはフランスに居る気持ちになりました。2階のテラスに出ると、雲一つない真っ青な空、背の高いヤシの木、白いとんがり屋根の魚市場、土色のアラビア風の建物が見え、トリポリに居ることを想い出させてくれました。(5月5日 伊東医務官)
   
   



リビアでは金曜日が週休日です。早起きしてトリポリの旧市街に散歩に行きました。旧市街のアーケード街の店は閉まっていて静かでした。旧市街からナセル広場の方に歩いていくと人通りの多い小路があり、そこは食料品のスーク(市場)でした。道の両側に八百屋があり、野菜、果物(ナツメヤシ、イチゴ、ブドウ、パイナップル等)が売られていました。建物の中に入ると八百屋、肉屋、ペット屋、パン屋がぎっしりと軒を連ねていました。中央には活気あふれる魚市場があり活きのいいエビ、アジ、イカ、タコ、イワシが並んでいました。ペット屋にはインコ、オウム、リクガメ、犬、猫、魚がいて見ているだけで楽しい気分になりました。陽気で気さくな店主と写真をぱちりと。(4月27日 伊東医務官)
   
   



今月から在リビア日本国大使館に医務官として着任いたしました。医務官は、昭和38年に在ナイジェリア大使館に配置されて以来、毎年、増員され、現在94公館96名の医務官が配置されています。私は、日本で内科、小児科および旅行医学を計12年した経験を活かして在外職員およびその家族の健康管理、医療事情調査を行うため参りました。成田を出発してアブダビまで12時間、さらに6時間でトリポリに到着します。リビアの国土は日本の約4.7倍の広さで、その95%が砂漠です。日本から遠く知られざるリビアの魅力を御紹介していきたいと考えます。(4月25日 伊東医務官)



週末を利用して市内中心部にある旧市街に行ってきました。ここには商店がたくさんあり、多くの買い物客で賑わっていました。しかし、市内全体では再開されているお店は革命前に比べて7~8割程度といった状況です。以前は日中でも市内のあちらこちらで迷彩服を着た民兵の姿を見かけましたが、最近は若干減ったように思われます。

また、4月10日の夜、大使館に勤務する現地職員が市内幹線道路を自動車で走行中に強盗被害に遭いました。犯人は自動車を使用した若者4人組でしたが、偶然通りかかった別の男性に助けられ、幸いにも大事には至りませんでした。夜間には、こうした事件が数多く発生しているものと思われます。(4月17日 杉村領事)



トリポリの昼間の様子は、一見したところ革命前同様、落ち着いています。しかし、夜になると以前よりは少なくなってきてはいますが、銃声が散発的に聞こえます。若者が遊び半分に海に向けて発砲しているようです。リビアは禁酒国ですが、夜間繁華街に集まって酒を飲んでいる若者も少なからずいるようです。(4月4日 杉村領事)