ミスラタ地方議会議長との意見交換
ミスラタ(首都トリポリの東208kmにある第三の海岸沿いの街。人口約35万人)の地方議会議長が訪れてくれました。
ミスラタにはフリーゾーンが設置され、世界各国の企業、特に日本の企業の誘致について熱心に話されました。
モーターショーの開催
第五回モーターショーがトリポリで開催されました。今回は初めてトヨタが出展し、多数の観客が集まってくれました。
リビアでは人々の生活は落ち着き始めており、車への購買意欲も高まっています。
リビア新内閣発足式典
11月14日、リビアで初めての選挙によって選ばれた議員達によるアリー・ゼイダーン内閣の発足式典が行われました。
これからこの内閣は治安問題、戦後復興、民生向上など国民の生活に直結する課題に立ち向かっていくことになります。この日はリビアの民主化にとって重要な一日だと言えます。
リビア前石油大臣との意見交換
ベン・ヤッザ前石油大臣にお会いしました。リビアは日量約150万バレルを生産する世界有数の産油国で、エネルギーの分野で日本にとっても重要な国です。日本は専門家の訓練や環境に優しい技術の導入における点でリビアでの協力を進めています。
リビアの初等教育
現在、リビアでは新しい教科書の作成が進んでいます。
独裁政権を倒して成立した民主主義リビアは子供たちの教育を根本的に見直し、自由・平等・人権などの民主主義の基本的価値を教えています。
また、内戦の結果残された不発弾などへの注意事項もあり、子供たちへの安全のための教育も行われています。
ICRCトリポリ代表との意見交換
公邸の昼食会にICRC(国際赤十字委員会)のトリポリ代表をお招きしました。ICRCは地震などの天然災害での医療(救助活動)および紛争時における文民の保護、捕虜交換などを重要な任務とする機関ですが、リビアでは、病院での内戦の負傷者医療サービス、緊急援助物資の配布などを行っています。
競馬場
ここが競馬場です。トリポリの競馬場はダートコース以外にも、ランニングコース、子供用の遊園地等も併設されています。今日は平日ですが、ジョギング姿の人や、子供連れのリビア人たちの姿も見受けられました。こうした日常が戻ってくるのも一つの平和です。
議会第二党党首との意見交換
議会第二党の「正義開発党」の本部を訪問し、サワーン党首にお会いしました。リビアの民主化において議会は中心的役割を果たしますが、日本がどのような形で協力するのが有効か等を話し合いました。
文化市民社会省次官との意見交換
文化市民社会省を訪れ、アワーティフ・アッタシャーニー次官(女性)にお会いしました。同省は、マスコミ関係全般も管轄しています。新リビアでは言論の自由が認められ、各マスコミが自由な報道を行う環境が整いつつあります。アッタシャーニー次官と文化等の分野での日本との協力について話し合いました。
第3回建設・物資国際展示会
トリポリ国際展示場で第3回建設・物資国際展示会が開催されました。内装・建築資材などを扱う各国の企業が出展しており、特にトルコの存在が大きく見えました。今後リビアの復興が進むにつれ、日本の企業の参加も期待されます。
リビア社会大臣との意見交換
マブルーカ・ジブリール社会大臣にお会いしました。日本は新生リビアへの協力の一環として、義手義足プログラムへのリビアの専門家受け入れ計画を進めています。大臣はそのリビア側の最高責任者で、現在13名の訪問団代表として日本で10日間の研修を受けています。
トリポリの風景
トリポリでは夏も終わりに近づき、秋の空が広がっています。一部イスラム諸国では預言者冒涜問題でデモ等が行われていますが、この風景のように平和な日々が続く事が期待されます。
アッサラーヤ・アルハムラー城
今回特別の許可を得てアッサラーヤ・アルハムラー城の内部を見学しました。この城は代々7世紀頃からこの地域の支配者の居城として発達してきました。まだ未整備で観光客には開放されていない歴史的な事物があります。
リビアの民主化支援
9月4日、リビアの民主化支援に携わっている国連スタッフと懇談しました。7月7日の選挙により、国民に選ばれた議会が設立され、リビアの民主化は一歩一歩ですが着実に進んでいます。リビアにとって全てが新しい経験なので国連をはじめ日本もいろいろな形で支援を行っています。
トリポリ解放一周年
8月20日にトリポリ解放一周年記念が祝われました。昨年2月15日にベンガジで始まった革命は、全土に広がり8月20日には首都トリポリが解放されました。それ以降着実に民主化プロセスが進み、今年8月8日には選挙で選ばれた議会が発足しました。
マルクス・アウレリウス門
ここがマルクス・アウレリウス門(ローマ五賢帝の一人)です。2世紀に建てられたこの凱旋門は、彼の共同皇帝ルキウス・ヴェルスがパルティアに戦勝した記念として建てられました。門の四面にはエジプトやギリシャの神々などが彫られています。この凱旋門がある場所は、かつてローマ・北アフリカの交易で栄えた最も重要な交差点でした。夜になるとライトアップされ幻想的な雰囲気に包まれます。
権限移譲式典への参加
8月8日、ラマダン中ということもあり、午後11時から開かれた国民暫定評議会(NTC)から制憲議会への権限移譲式典に参加してきました。この制憲議会は、去る7月7日の選挙で選ばれた200人の議員から構成される議会で、今後、新しい首相の選出、内閣の任命を行い、リビアの憲法を作るという重要な任務を担っています。リビアの民主化は、一歩ずつ進んでいます。
ラマダンの始まり
7月20日から、多くのイスラムの国々ではラマダンが始まりました。ラマダンはヒジュラ暦(太陰暦)の第9月で、その間は日の出前から日没まで飲食ができません。今年は夏に当たっているので、水も飲めずに日中を過ごすのは大変な苦痛です。経済活動・社会全体がスローになって町中の人影もまばらになります。
NGOとの交流
7月18日、リビアのNGO・市民活動グループの集まりに出席してきました。選挙が終わってこれから新しいリビアの政府が作られていきますが、市民の声がしっかりと反映されていることが大切です。リビアではまだNGO活動が始まったばかりですが、日本としてもいろんな形で支援していきたいと考えています。
投票所への訪問
7月7日、リビアで初めての民主的選挙が行われました。142の政党が設立され、約3700人が立候補する大激戦です。新しいリビアが民主主義国家として歩んでゆく重要な一歩でした。
リビア人実業家との意見交換
リビアで最も有力な企業グループを率いるHusni Bey代表の事務所を訪問しました。同代表は新しいリビアの将来に非常に楽観的で、新しい民主的政府が樹立され、自由な経済活動が可能となる中で貢献してゆきたいと力強く語ってくれました。
女性候補者集会
25日、トリポリ市内のホテルで開催された女性立候補者の決起集会に参加してきました。7月7日に行われるリビア初の国政選挙では約550名の女性候補が立候補しています。この集会にはキーブ首相も来賓として来られ、選挙に向けて気分は盛り上がってきています。
リビアでの国連活動
今月13日、国連リビア支援団(UNSMIL)の職員の方々を公邸にお招きしました。同支援団はリビアの民主化プロセス支援のため、各分野で活躍しておられます。同支援団の国連職員は約200名おられ、うち2名は日本人です。
リビア外務副大臣との意見交換
5月21日、外務省を訪れ、Muhammad Abdul Aziz外務副大臣にお会いしました。同副大臣は、日本に何度も行かれたことがあり、日本の政治、経済、社会状況をよくご存知でした。これから日本がどのように新しいリビアの国づくりに協力していくか話し合いました。
制憲議会選挙有権者登録
5月13日、リビア制憲議会選挙(6月19日予定)の有権者登録所に行ってきました。制憲議会選挙に先立ち、選挙前の有権者登録を行う場所です。リビア革命後の歴史上初めての選挙で、選挙権は18歳以上です。有権者登録は順調に行われ、270万人以上の有権者が登録を行いました。リビアで初めての民主的政府が設立されるのを期待しています。
リビア青年との対話
5月22日、民主化支援NGO「ナショナル・デモクラティック・インスティチュート」(NDI)の招きで、リビア青年たちと対話する機会を得ました。リビアを担う15人の若者たちに対し我が国の対リビア支援策を説明するとともに、彼らからは民主化に寄せる期待及び将来ビジョンについて意見を聞きました。希望にあふれるこうした若者たちが新生リビアを創造することを強く願っています。
建設機械見本市
5月20日、第8回トリポリ建設機械見本市のオープニングに参加してきました。コシュリ経済相は式辞の中で、第二次世界大戦後に復興を遂げた日本のようにリビアの一刻も早い復興を願う旨挨拶しました。今回はリビア国内外から600社以上が参加し、会場は大盛況でした。日本からも電器メーカーの代理店が出席しており、リビア国内での販売促進を代表者に対し激励しました。
バスターミナル
ここがトリポリバスターミナルです。ここからベンガジ、ミスラータ、セブハなどリビア各主要都市へ向かうバスが発着しています。しかしリビアで大型バスは依然として少なく、どちらかというと、乗合タクシーが市民の足として活躍しています。
国連開発計画(UNDP)リビア所長との意見交換
5月8日、オヴェルヴェストUNDPリビア所長らと意見交換しました。UNDPは選挙、憲法策定などの分野でリビア政府を支援しています。6月に実施予定の選挙は、リビアの新憲法を制定するための議員(定員200名)を選出します。リビアの歴史上はじめての選挙であり、日本を含め世界はこの選挙が平和的民主的かつ公正に実施されることを期待しており、大変注目されています。
食品・漁業国際見本市
5月7日、第5回食品・漁業見本市のオープニングに参加してきました。スレイマン・アブドルハミード・ブハルーバ農水産相にお会いしました。大臣は、新生リビアでは高度なテクノロジーと多くの労働力が必要とされる旨を述べました。今後、食品・漁業分野で世界からの投資が期待されます。
NGO訪問
5月7日、「ナショナル・デモクラティック・インスティチュート」(NDI)のMegan Doherty氏とCarlo Binda氏が大使館を訪問しました。NDIは世界各国で民主化支援を行っているNGOです。リビアでも本年6月に制憲議会選挙が行われますが、民主主義の意義や選挙のやり方等についてリビアの若者たちを中心に啓蒙活動をしています。
石油ガス国際見本市
4月23日、第4回トリポリ石油ガス国際見本市のオープニングに参加してきました。アブドゥル・ラフマーン・ベン・ヤッザ石油相にお会いしました。大臣は新生リビアでは既存油田の拡張、新規油田の開発を新しいテクノロジーを最大限活用し、環境問題に配慮しつつ進めたい旨を述べました。リビアは世界有数の産油国で、確認埋蔵量は世界第8位です。
地中海
リビアの北側は地中海に面しており、その海岸線は1770kmに及びます。トリポリは海辺の街で、歩いて海まで行けます。日本と違って津波の心配はなく、海岸線に防波堤はありません。アラビア語で「地中海」は「白い海」と呼ばれ、白い砂浜の海岸線が続いています。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)リビア所長との意見交換
4月26日、UNHCRのリビア事務所長のEmmanuel Gignac氏を訪問し、懇談しました。Gignac所長はカナダの方で、アフガニスタンやスーダンでの勤務経験もあり、日本とも各地で難民支援の分野で協力した経験をもつ人物です。
バザール
ここがバザール(公設市場)です。アラブにはどこの国にもスーク、バザールがありますが、ここトリポリでは外国人観光客が少ないこともあり、バザールでは日用雑貨、おもちゃ、衣料品など主に市民の生活に必要なものを売る小売商が店を並べています。今日は平日ですが、金曜日には東京のアメ横のような混み具合だそうです。
IOM(国際移住機構)との意見交換
4月18日、ジェレミ・ハスラム国際移住機関(IOM)リビア所長とアレクサンドラ・ビーン・プロジェクトオフィサーが大使館を訪れました。同機関は、リビアの内戦中に外国人労働者などを国外に退避させるという大きな役割を果たしました。現在は、不法移民の本国送還などの事業を行っています。
ミスラータ
ミスラータはトリポリから南東海岸線200㎞にあるリビアで有数の港町です。今回の内戦では激戦が繰り広げられ、日本でもニュースで時々流れました。ミスラータにはフリーゾーンがあり、日本の企業も進出しているので、地方議会議長、フリーゾーン責任者の方々にご挨拶してきました。
レプティス・マグナ
リビアには、なかなか観光客が訪れることが難しい遺跡がいくつかあります。トリポリから車で約1時間半のレプティス・マグナを訪れてみました。二世紀末にレプティス・マグナはセプティミウス・セウェルスによって最盛期を迎え、遺跡の入口に位置するセプティミウス・セウェルス門は彼とその家族を称えるために建てられたそうです。またリビアで平和が完全に回復して、多くの日本人観光客が来られるのを心待ちにしています。
イアン・マーティン国連リビア支援団(UNSMIL)特別代表との意見交換
4月8日、イアン・マーティン国連リビア支援団特別代表と意見交換しました。UNSMILは内戦後のリビアの国造りを支援するため、選挙の実施や治安機関の再編などの分野で活動しています。リビアはまさに民主的かつ自由な国家を建設するための最中にありますが、日本も国連同様に様々な形でリビアに協力していくため努力していきたいと考えます。
トリポリ国際見本市
4月2日~12日まで第40回トリポリ国際見本市が開催されています。この見本市の様子を視察しました。8カ国約350の企業が参加しているとのことです。一般市民も訪れ盛況でした。リビアにおける各種見本市に今後日本企業が多く出展することが期待されます。(4月5日)
ベンカイヤール外相との会談
4月4日、アシュール・ベンカイヤール外相と会談しました。「日本はリビアとの関係をより強化していきたい。リビアの若者に対する職業訓練を実施し、協力関係を深めたい」と伝えたところ、同外相は「友好国日本のこれまでの支援に改めて感謝します。日本の協力に期待します」と述べました。
殉教者広場
ここが殉教者広場です。2010年12月チュニジアに始まったいわゆる「アラブの春」は、ここリビアでは2011年2月に反カダフィ内戦となり、同年10月23日に国民評議会のリビア全土の解放宣言によって終結しました。
この広場はかつて「グリーン広場」と呼ばれていましたが、今回の内戦で死亡した方々の鎮魂の意味をこめて、殉教者広場と命名されました。広場は城塞(アッ・サラーイ・ル・ハムラ)に隣接しており、またダウンタウンの中心にも位置しています。経済活動の発達に伴い、渋滞が発生しています。リビアに来たらまず一番始めに訪れるところだと思います。(4月2日)
大使着任挨拶
3月23日、駐リビア大使としてトリポリに着任いたしました。
リビアは昨年2月から10月の内戦を経て、現在新たな国造りの只中にあります。私はリビアには2度目の在勤となりますが、最初の勤務当時は、リビアはまさに革命政権が華やかな時期でありました。一方、今回の赴任は、2月17日革命後の新政権が国の再建のためにリビア国民とともに努力している時期であり、この新しいリビアがどのような国になっていくのか、とても関心をもっています。リビアは有数の産油国でもあり人的資源も豊富です。また、地中海の重要な位置を占めており、リビアは日本にとって、将来様々な意味において重要なパートナーとなる可能性を秘めています。
私は、日本の代表として、リビアが新しい国造りを行っていく中で、日本がいかにリビアに対してご協力できるかを模索し、両国にとり、より良い関係を築くために尽力するつもりです。
リビアの実情は日本をはじめ世界に知られるところがまだまだ少ないので、様々な機会を通じて皆様に有益となる情報を発信していきたいと考えます。
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2012年3月25日
トリポリにて
足木孝
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